全国町村会

夢を語れる学校

〜人口905人、村の地域力、

        北海道おといねっぷ村立美術工芸高等学校〜

 

北海道音威子府村

2732号(2010年9月6日)
教育委員会 宗原 均

 

 

  音威子府村について 

 

    音威子府村全景 

―地形―

音威子府村は、上川地方管内の北部に位置し、北東は宗谷地方管内中頓別町、北西は中川町、南は美深町に隣接する、東西22.2キロメートル、南北18.6キロメートル、総面積が275.64平方キロメートルの村である。地形は、村の中央を天塩川が貫通し、北西部地域は段丘、または扇状地で平地は少なく、南東部地域は概ね平坦な扇状地である。

―気候―

気候は、四囲山岳に囲まれた狭隘な盆地的地形であるため、寒暖の差が著しく、平均気温は、12月〜3月で、マイナス6度以下、6〜9月は17度以上である。酷暑時には30度以上を示すこともあり、逆に、酷寒時にはマイナス30度以下にもなる。冬期間にあっては道内でも有数の豪雪地帯で、12メートルを超える降雪量がある。

―成り立ち―

音威子府村は、明治34年帝室御料領地に編入、同37年には初めて開拓の鍬が下され、当時は士別村戸長役場に属し、同39年下名寄村戸長役場所管となった。さらに45年には、中川村戸長役場に属し、大正5年中川町より分村し、新たに常盤村戸長役場を咲来市街地に設置した。分村して上流域に集落を形成するのは道内の歴史上非常に珍しいと言われている。大正8年には2級町村制が施行され、同14年11月に現在の音威子府市街地に役場を移転し、昭和38年4月1日、村名を「音威子府村」と改称し現在に至っている。

―産業―

開拓以来、馬鈴薯を主とする畑作農業が中心だった。昭和初期には乳牛が導入され酪農家も増えたが、生産調整や価格の低迷などの外因のほか、従事者の高齢化・後継者不足などの問題が顕著化し、現在では一ケタの戸数にまで減少した。畑作農家は現在馬鈴薯の作付は全くなく、蕎麦、南瓜が大規模に作付されている。絹サヤ、ホワイト・グリーンアスパラの出荷も行われているが、従事者の高齢化等の問題は酪農農家と変わりない。

―交通―

大正元年に現在の宗谷線、大正3年に旧天北線が開通したことにより開発が進み、鉄路の分岐点としての「国鉄の街」として発展した。併せて国道40 号線・275号線の分岐点でもあり、 道北交通の要衝地として位置づけされてきた。しかし、昭和59年代前半からの国鉄合理化、昭和62年の分割民営化、平成元年の旧天北線の廃止と矢継ぎ早の体制的合理化により、人口が激減。地域経済、福祉、教育にも大きな影響を受けた。その一方で、平成5年、村民の生活基盤、社会資本基盤において重要な位置づけを持つ高規格幹線道路(音威子府バイパス)建設計画が具体化され、「音威子府村産業振興計画」が策定された。その後数十年を経過し、ようやく平成21年度に一般国道40号音威子府バイパス事業として着工の運びとなった。本年度に入ってその工事が本格化し、本村の今後の繁栄をも見据える一大プロジェクトとして大いに期待されている。

 

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高等学校の遍歴

現在本村の人口は905人(22年6月末現在)であり、全国各地、この人口規模で高等学校を市町村立で運営している自治体は無いと自負している。

北海道音威子府村立おといねっぷ美術工芸高等学校は、昭和25年名寄農業高等学校の分校として始まり、同28年に村立音威子府高等学校として独立した。当時からの大きな特色は一貫して「教諭」と「生徒」の距離感がなく、地域に根付いていたことである。しかし当時は当たり前と思われた定時制も、経済及び教育の急激な発展により、生徒が激減。時代の流れとして「廃校」も余儀なしと誰もが推測していた。

 

北海道音威子府村立美術工芸高等学校 

ちょうどそこに狩野剛校長が昭和53年に赴任になったのである。彼はすぐに音威子府村を隅々まで見て聞いて回り、村の「宝物」である「豊富な木材」と「村人の心の熱さ」を活用し、全国どこにもない高等学校づくりに自分の人生をかけることになった。

校長の熱意、そしてその発想力と実行力が、地域住民を巻き込み、人が人を呼び知恵が知識となり、思い描く高等学校の姿を現実にしていった。それは正に「夢を現実に」であった。また定時制でありながら、芸術科目として工芸、職業科目としてインテリアの実習を取り入れた。この「奇想天外」な学校運営は、親はもちろん進学しようとする生徒たちにとって特に新鮮で「一芸に秀でる」「才能を伸ばし可能性を追求する」として全国各地から生徒が集まった。昭和55年には120名を収容できる「チセネシリ(アイヌ語で音威富士の意味)寮」も完備された。

 昭和59年、村立から道立校への「格上げ」も検討されたがその特色と意義深さを認識し、村立高等学校のまま全日制工芸科単置とあいなった。翌60年には新校舎を建設し、61年には工芸実習室、平成6年には家庭科実習棟と体育館を新築し現在に至る。この間寮の増築・新築 を行い平成21年度に更に寮を増築し、現在の在校生徒数は実に119名を数えるまでになった。 3桁の生徒数を誇る高等学校は近隣町村には存在せず、上川管内北部では4番目の大きな学校でもある。ここには、可能性を信じ、高等学校を温かく見守り、常に「応援」する教育関係者と、高等学校を運営する資金「村予算」を出し続ける行政側の「心」があると実感する。

教育が地域に根ざす、生徒たちが地域の主役になる、その主役が地域に元気と勇気をもたらす、だからこそ地域住民も「高校生と共に過ごす時間の大切さ」を実感し、応援団と化していく。

実は地域づくりにはたくさんのキーワードが存在する。どこの市町村も「基幹産業」の発展を考え「地域社会の底上げ」策として福祉や医療を掲げるが、そこに焦点を定めるには「地域力」と表現される「元気」さや「何か誇れる自慢のもの」が必要である。

本村の高等学校が正にそれで、村民は、高等学校の生徒たちとなにかにつけ必ず関わりをもつ。特に村一番の大イベントである初夏の村民運動会は、高校生たちには、さながら「高校体育祭」でもあるようだ。 900人の人口で約300人が参加する運動会は、高校生たちの歓声や笑顔、真剣に取り組む姿に、誰もが「この村民運動会を続けられるのも高校生のおかげ」であり、「なくてはならない存在」と実感しているに違いない。

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夢を語れる学校へ

 

平成18年4月には、新任校長として札幌から石塚耕一氏が着任した。彼の夢もまた「夢を語れる学校づくり」で、それを実行していくための原動力は平成18年度に設置された「学校評議員会議」である。「東海大学旭川校との高大連携」事業や家具デザインで世界をリードするスウェーデン、レクサンド高校との「国際理解教育」事業は、高校の教育力向上と存在感を高め将来への可能性を大きく示した。高大連携では、「東海大学へ出向き、大学からは教授がやってくる」の繰り返しの中で、生徒たちは自分たちの発想を飛躍的に高め、更に技術的にも成長している。国際教育理解では、高校間の交流は非常に珍しく、スウェーデン大使館からも「積極的な交流を」と、平成20年から本校の生徒を2?3名派遣して高いデザイン力と技術力を学び、またレクサンド高校からも生徒を受け入れている。スウェーデンから来る生徒は「チセネシリ寮」で在校生たちと同じ生活を1週間程度送り、双方の語学力を高め合っている。

美術工芸高等学校の教育課程は「工業高校」に習って進められていたものを「美術高等学校」に進化させなければならず、「美術工芸教育実践発表会」「教育課程研究指定事業」への取り組みが始まった。教職員全員の英知結集が実を結び、19年度には新教育課程が編成され20年度実施、さらに文部科学省の支援を受け、東海大学や教育大学との連携で美術工芸教育実践研究発表会が実現した。全クラスの公開授業や教諭のレポート発表が全国に発信され、平成19・20年度の国立教育政策研究所教育課程研究指定校(美術)21年度は同教育課程研究指定校(工芸)へと全国的にもトップクラスの教育実践校となり、教育関係者の訪問が飛躍的に多くなっている。

本校の教諭は、「造る・描く者として自分を高めよう」と生徒同様の志を持っており、その真剣さに色あせがないと断言しても良い。卒業・入学式時期には毎年教職員6〜7名で展覧会を地元で開催して、「教える側のクオリティーの高さ」を発信している。献身的な教職員の努力が、信頼へと変わり、生徒たちは、のびのびと個性を伸ばしていけるのであり、1クラス40名の定員、3学年で120名という小規模高等学校ではあるが、教諭たちの昼夜を問わず、積極的に生徒と向き合う姿勢が、目的意識の変化に繋がっていく。ドロップアウトは皆無に近い。このような環境の中で生み出される生徒たちの「絵画」や「工芸」作品の発想力及びデザイン力、制作力が、道内で群を抜いているのも当然で、全国でもトップレベルと言っても良い。

高文連、北海道学生美術展、道展、道展U21などの出展では常に最高賞を受賞する生徒もおり、出展した生徒ほとんどが入選という状況である。大学へ進学する者も増え、今では道内の美術界にとって大いに期待される逸材に成長している者もおり、後輩への大きな刺激になっている。

さらに、当町でも過疎化、高齢化が進んでいますが、こういった販売形式の定着により、将来、高齢者世帯への買い物代行などへの発展の可能性も期待しました。

北海道音威子府村立おといねっぷ美術工芸高等学校では「夢を現実に」「優しさは人を変える」、この言葉を実践すべく、経営努力を続けている。

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もうひとつの栄光

 

クロカン練習風景

本村の村民は、1年のうち半年間を雪と共に暮らす。積もれば捨てられるやっかいな雪、これを逆に活用したのが「クロスカントリースキー」である。年末の12月下旬には27年前から全日本大会と全日本学生スキーの大会が1週間開催され続けている。

オリンピック出場、ワールドカップなど海外でも活躍する選手たちがこの時期、目の前で競技するとあって地域の子供たちへの取り組みが始まり、今では地元生まれの本校出身者で4年後のソチオリンピックをねらう選手も輩出するまでになった。
クロスカントリー部は第53 回冬季インターハイ(平成15年2月)と第54回インターハイ(平成16年)で2連覇を達成するという輝かしい栄冠を手にしている。

この栄光の陰にもやはり教諭の存在がある。教諭と村教育委員会、関係者の努力によって地元中学からクロスカントリースキー選手が入学するようになった。「高校に行ったら野球をやりたい、そのための冬のトレーニング」にしか考えられなかった競技が逆転して、それを専門に行う選手が生まれた。「いち早く滑れて5月に入っても平地でスキーができる」環境を求め道内から有力選手が集まりだし歴史が生まれた。現在指導に当たっている教諭(バンクーバーオリンピック出場・夏見円さんの恩師)のもと、現在は9名の選手(女子3名男子6名)が在籍。4年ぶりに地元中学から2名の選手が入学し全員「インターハイ全国制覇」を目指し練習に励んでいる。

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社会教育の実践 

 ビッキ記念館 

木材工芸を教育に取り入れ「ものづくり」を通した人間力の育成の一方で、その振興を図っていく上では、砂澤ビッキという「精神的支柱」の存在が必要だった。

彼は、筬島を拠点に世界に向かって現代彫刻を発信しながら、作品が評価されていったが、その当時は「遠い存在」でしかなかった。ビッキが没して今年で22年が経過する。8年前に彼の功績をたたえてオープンした記念館が、今高校生たちのボランティアで成り立っている。

毎週末1年生から3年生まで4人1組でやってくる高校生が、館内の清掃、土産品の販売、喫茶コーナーなどを手伝い、大きな声で「こんにちは」「ありがとうございました」と若々しい声で清々しく来館者を迎えている。

人見知りする生徒も徐々に大きな声が出るようになり、今ではビッキの作品紹介なども行うまでになっている。関係者は、「知識は学校で学べ。記念館では知恵を学べ」と生徒たちに話し、人生ことと次第によっては「習うよりなれろ」と言うことを知ってほしいとその活動を温かく見守っている。

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最後に

音威子府村第33代千見寺正幸村長は高校生の姿、高校の発展に人一倍大きな思い入れがある。自身が村職員時代に高校に勤務し「繁栄と衰退」を実体験した経験があるからだ。千見寺村長は現在の高校の存在、そして高校生に大きな未来を託す。

 『日本の未来を担う高校生が真摯に取り組む姿は何物にも代え難い、江戸初期「慶長」の時代に「春は花 夏時鳥 秋は月 冬薄雪に 人は心」と詠んだ方がおりますが、400年経過した現在でも「人は心」です。高校生がひたむきに取り組む姿はそのものであり、これを伸ばさないことには世は何も実をつけません。地域に芽生えた大切な宝を更に磨きをかけ末永く「世の宝」としたい。』音威子府村は高等学校と共に今後も全国に特色ある村づくりを発信し続ける。

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