全国町村会

進取の気性をいまに受け継ぐ地域おこし
〜龍馬脱藩の道を訪ねて〜

  

志士の功績が残るこの地に八志士の群像を建て「維新の門」と名付けた。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。


高知県梼原町

2721号(2010年5月31日)  全国町村会広報部

文久2年(1862年)3月24日、維新を夢見て土佐藩からの脱藩を決意した坂本龍馬は、同士沢村惣之丞とともに高知城下を出奔し、翌25日、梼原に到着。梼原の勤王の志士である那須俊平、信吾父子の案内により、韮ケ峠を越え、26日、伊予の国(愛媛県)に脱藩を果たした。

時は流れて平成の世、龍馬が通った道・梼原街道は、「維新の道」と名付けられ往事の面影をたどることが出来る。大河ドラマの影響で訪れる人も急増、様々な分野で進められてきた地域活性化の試みは着実に実を結びつつある。地域をいきいきと輝かせるために活動している人たちへの取材をもとに梼原町の“いま”を紹介したい。

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龍馬ブームが追い風に

いま梼原町が注目を浴びている。人口4千人の山あいの町に、今年に入ってから33,000人を超える観光客が訪れた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送開始にあわせ県内では「土佐・龍馬であい博」が開催されており、4つのパビリオンのひとつが「ゆすはら・維新の道社中」である。メイン会場となる町立歴史民俗資料館は、“駆ける!”をテーマに龍馬脱藩前夜の様子や梼原の志士の生き様が臨場感あふれる空間に再現されている。

町内には、脱藩の道が町中心部や山道にあり、以前から地元のボランティアガイドによる案内が行われていた。地元ガイドで結成する「ゆすはらであいの会」のリーダーが梼原龍馬会会長の下元秀俊さんだ。龍馬会の発足は6年前、当時、公募で集まった町民による「梼原の明日を考える会」が、龍馬が脱藩するときに通った最後の町という特性を地域おこしに活かせないかと考えたことがきっかけとなった。当初5人で始めたガイドは、現在、女性も含め27名。紋服に刀を差した出で立ちで、約1時間半をかけ町内を案内する。1年目に案内した観光客は年間600人、2年目には800人に増え、4年目となる今年はわずか5ヶ月で2,300人を超える勢い。だが下元さんがめざす目標は10万人と大きい。「訪れた人に、もう一度梼原に来たいと思ってほしい」、リピーター率を高めることが課題であると下元さんは語る。

住民の間でも「維新の道」が町外に発信する重要な地域資源になるという認識が高まりつつある。「梼原には津野山神楽などの文化的資源も多く、これら歴史・文化を相乗効果で地域経済の活性化を図りたい」と下元さんの思いは熱い。8月には東京のアンテナショップで特産品を売り出すことも決まっており、現在、目玉となる商品をメンバーが一丸となって開発中であるという。

   

歴ドル・美甘子さんを囲んで記念撮影。右下が梼原龍馬会会長の下元さん。

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「グリーン・ツーリズムゆすはら」を体験

交流人口の拡大で地域の活力を取り戻そうとする動きが広がっている。グリーンツーリズムの展開は、田舎志向の都市住民のニーズにマッチし、有効な手法と認識されており、なかでも農家民宿や各種体験民宿は農山村ならではの食事や農作業、伝統工芸の体験などを味わうことができ、魅力的だ。梼原町でもグリーン・ツーリズムへの取り組みの一環として、いくつかのプログラムを用意し、力を入れている。今回は2箇所の現場を訪ねる機会を得た。

@農家民宿「いちょうの樹」

「いちょうの樹」は県内で最も早く開業(2000年4月)した農家民宿。実際に宿泊し、田舎体験の魅力の一端に触れることができた。

経営するのは、上田知子さん。農林水産省の「農林漁家民宿おかあさん100選」に選ばれたこともある。経営のモットーは「田舎のない人の“いなか”になりたい」。「梼原は人情豊かで、水や空気がおいしい。この素晴らしい自然の恵みを活かし、たくさんの人と出会えることを楽しみにして開業しました」と当時の思いを話してくれた。現在、町内には4カ所7軒の農家民宿が営業している。農山村で過ごすことがブームとはいえ、お客さんの取り合いで競争になるのでは、と不安になるが、「それぞれが個性的で一芸を持っている」と上田さん。宿泊者をもてなす山菜料理も同じ物はないという。

「いちょうの樹」の年間利用者は約800人、そのうち約200人がリピーターである。昼は自然の中での農業体験、夜はいろりを囲んでの語らいと“家族ぐるみの温かいもてなし”に感動し、もう一度訪ねてみたくなる気持ちを実感した。

   

上田さんの温かいもてなしに魅かれて訪れるリピーターも多い。いろりと山菜料理の前で。

   

季節折々の草花が目を楽しませてくれる。

A和紙づくり体験民宿「かみこや」

次に訪問したのは、まさに“個性的”な和紙づくり体験民宿「かみこや」。ここは標高が高く、水もきれいで和紙の原料である三椏(みつまた)栽培に適しており、土佐和紙の伝統技術が根付いている。現在、三椏の栽培は途絶えてしまったが、手漉きの和紙づくりに適した風土であるため、はるかオランダからこの地に移り住み、工房を構えながら和紙づくりの体験民宿を営んでいるのが、手漉き和紙工芸家ロギール・アウテンボーガルトさんと妻の千賀子さんだ。ロギールさんは母国オランダで出版関係の仕事をしていたが、和紙の魅力にとりつかれ1980年に来日、各地を転々とした後、1992年に梼原町に移り住んだ。当初は和紙だけを作っていたが、その後、和紙を使った灯りのオブジェなども制作、現在はこれらの製品のインターネット販売も手がけている。

夫妻が「かみこや」を始めたのは、2006年のこと。以前から観光客相手に周囲の草花を漉きこんだ和紙づくりの体験工房を開いていたが、ゆったりした時間の中で和紙文化に触れてもらいたいという気持ちで、宿泊施設を併設した。宿泊客は若者中心だが、海外から日本文化を体験するために訪れるケースも増えているという。この伝統文化継承のユニークな取り組みが評価され、昨年、毎日新聞の「グリーンツーリズム大賞2009」優秀賞を受賞した。

ロギールさんの目下最大の悩みは和紙の原料不足と後継者の問題。特に原料栽培は危機的状況にあり、あと10年のうちに国が何らかの手段を講じなければ、国産和紙は途絶えてしまうという。一方、後継者育成の試みとして、地域の小学生に自分たちの卒業証書を原料から作ることを、十数年前から教え続けている。

「田舎に若い人の目が向かないと日本の将来がない」と夫妻は強調する。山からのいきいきとした発進力で若い人たちを惹きつけたいという思いから、大学生やインターンシップを受け入れるための宿泊施設を増やす準備も進めている。「美しさも質も世界一」と信じる日本の和紙文化を後世に伝えるべく、ロギールさんの取り組みが続いている。

   

「かみこや」のロギールさん・千賀子さん夫妻。

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日本ではじめての棚田オーナー制度

細い坂道を登り切り視界が開けると一面の棚田が拡がる。この棚田は神在居(かんざいこ)地区の千枚田と呼ばれている。山の斜面のわずかな土壌を利用し、谷底から水を引き、石を積み石垣を築き上げられた。かつて梼原を訪れた司馬遼太郎は、『街道をゆく 因幡・伯耆のみち、檮原街道』(朝日新聞社刊)のなかで「千年来、梼原の山々にきざみつけてきた先人の営みは、この田が証(あか)している」と記している。

神在居地区でも農家の高齢化や後継者不足から休耕田が目立つようになり、昔のような情景が見られなくなってきた。その対策として地域の有志が町の協力のもと「千枚田ふるさと会」を結成。1992年、全国に先駆け「千枚田オーナー制度」を開始した。オーナーは1区画(約100平方m)につき年間四万十(しまんと)円を払い、地元農家に指導を受けながら農作業に汗を流す。喪われつつあった千枚田は、農家と都市住民の交流の場に変わった。

制度のスタート時からオーナーを続け、2001年に家族で町に移住した田村俊夫さんからオーナー制度の現状と課題を聞いた。今年から「千枚田ふるさと会」の会長を務める田村さんだが、本業は広告関係で、自身が経営する松山市の事務所に片道1時間半かけて通勤する。「スタート時は15組だったが、最盛期は30組くらいのオーナーがいた。それが徐々に減ってきて今年は10組くらい」と田村さん。その理由のひとつが、1995年に梼原町で開かれた「第1回全国棚田サミット」でオーナー制度が注目を浴び、全国的に広がった結果、遠方からの応募者が減ったことだという。

しかし農家のほとんどがお年寄りで、受け入れ側として限界に来ているといった深刻な理由も忘れてはならない。「オーナー制度には若い人も来ていて、リピーターになっているのでそこに期待したい」としながらも「彼らには本当は定住して欲しいが、生活するすべがないのでそれも難しい」と将来に不安を感じている田村さんだが、リピーターが多いということは、それだけ地域に魅力があることの証でもある。「田んぼはこのままだと確実に耕作放棄地となる。オーナー制度は千枚田という日本の文化遺産を守ってきた側面があるので、国としてもこの景観保護を支援する施策を講じて欲しい」と田村さんは訴える。

   

農作業を通じて交流が生まれる。

   

千枚田を前にふるさと会会長の田村さん。

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交流から生まれた特産品

次の取材先は、ある交流から生まれた特産品を製造している初瀬(はつせ)地区。その特産品とはキムチである。「何故、梼原でキムチを作るの?」という疑問がわくが、韓国の大学生との文化交流をきっかけに地元の女性らが開発した新名物だという。製造しているのは、地域の住民(女性8名・男性2名)でつくる「鷹取キムチの里づくり実行委員会」。同地区には1997年から毎年、韓国の大学生がフィールドワークに訪れており、彼らに宿泊先を提供したことで、住民との交流が始まり、親睦を深めてきた。

こうした縁に加え、町が2002年度に始めた地域活力支援事業で廃校(旧初瀬東小学校)を交流施設「鷹取の家」として整備し、過疎の進む集落の活性化策として浮上したのがキムチづくりだった。県内在住の韓国人を講師に招き、本場仕込みの技と味を研究、鷹取山にちなんだ「鷹取キムチ」を商品化した。各種物販イベントや町内の量販店などを皮切りに、一昨年からは県内の大手スーパーにも並ぶようになった。商工会による通信販売や、インターネットのグルメサイトでも取り扱われており、韓国産唐辛子を使うキムチは、韓国の学生も“まさに韓国の味”と太鼓判を押す。一方、白菜など野菜類は地元産を使用。町のシルバー人材センターに白菜の生産を委託するなど、取り組みは波及効果も生んでいる。

出荷量は初年度1,500キロが3年後には4,500キロに増加。2008年7月には、「鷹取の家」を韓国風レストランに改修、オープンした。レストランは金土日のみの営業だが、マスコミ報道の影響もあり、町内だけでなく高知市や愛媛県など遠方から、この1年半で2千人を超えるお客さんが来店し、大好評を得ている。

順調に進んでいるように見える「鷹取キムチ」だが、やはりここでも課題となっているのは後継者の問題だ。実行委員会の矢野多香子さんからお話を伺ったところ「この地区は高齢者が多く、若い人が少ない。うちも嫁はいるが働きに出ているので後を継ぐ人がいない」と嘆く。しかし現役でキムチづくりをしている女性は、矢野さんはじめ皆さん元気で若々しい。キムチづくりを始めて変わったことを伺うと、「みんなとの交流が生きがいにつながり元気の秘訣になっている。お客さんから“おいしかったよ”と言ってもらえることが一番嬉しい」とのこと。キムチドレッシングと最近売り始めた焼き肉のたれも好評で、販路の拡大も図っている。「将来的には、地域に新たな雇用の場が生まれれば」と期待を寄せる。

   

「鷹取の家」の前で矢野さん(左)と氏原さん(右)

   

味も本格的、石焼ビビンバ定食。

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“癒やし”で地域を元気に

ここ数年、森林が持つ“癒やし効果”の研究が進んできた。その効果を科学的に検証し、心と身体の健康に活かそうという試みが森林セラピーである。梼原町の森林セラピー基地、森林セラピーロードは、2007年3月に森林セラピーソサエティから正式に認定を受けている。今回取材したのは、松原地区の「久保谷川セラピーロード」、88万平方mを占める国有林には、モミ、ツガを主とした樹齢数百年の立木や切株が群生し、独特の景観をつくっている。

セラピーロードを案内してくれたのは、松原区長の下元廣幸さん、郵便局長退職後、地域おこしの相談役としての役割を担っている。「久保谷川セラピーロード」は延長3qの小道、もとは100年前から田畑を潤してきた水路であった。これを地域住民が主体となり、「寂れていくふるさとを残すために、たくさんの人に来て欲しい」という期待を込め、2006〜2007年度にかけて県の森林環境税事業「生き活きこうちの森づくり推進事業」を活用し、ウォーキングロード周辺の間伐や休憩所などの整備に取り組んだ。同じく2006、07年度に実施した3回のモニターツアーも成功。「外から訪れる人たちとの交流で、住民が地域資源に自身を持ち元気になった」という。

この森林セラピー事業が起爆剤となり、地域おこしに向けた議論も活発化した。「活動メンバーの輪を広げたい」「リピーターを増やしたい」「これをきっかけに農家民宿や喫茶店の開業を目指したい」といった前向きな意見が交わされるようになったと下元さんは顔をほころばせた。

   

3kmにわたって癒しの空間が拡がる。

   

松原区長の下本さん。

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“粋”と“絆”を大切にする町

今回の取材では町環境推進課・地域振興係の川上寿久さんと下村千佳さんに様々な手配と案内をいただいた。取材先で見た取り組みについて、「どれも町の明るい展望が開かれる可能性がありますね」と話を振ると「地域おこしはうまくいったり、いかなかったり。試行錯誤の連続です」と下村さん。加えて「梼原は以前から住民活動が盛んでした。それを後押しするのが行政の役割」と強調する。

梼原町で住民による地域おこしが盛んな理由として、独自の住民組織単位である「区」による活動が根付いている点があげられる。「区」とは明治の合併以来引き継がれてきた旧村単位の6つの自治区(越知面、四万川、梼原東、梼原西、初瀬、松原)。それぞれに区長がおり、独自の活動を実践している。町も「区」による住民自治機能の維持・強化が地域の活性化につながるものと考え、その組織力向上を支援する役割を果たしている。例えば、地域づくりのキーマンたちを行政が、点から線、線から面へとネットワークを形成していく様はその好例だろう。これらの相乗効果が他とは異なるユニークな施策を生み出しており、愛媛県との県境という不便な立地条件をプラスに変える発想の転換は「梼原方式」とも呼ばれている。

もうひとつ忘れてはならないのが、梼原の町民気質である。ここには古くから訪れた人をもてなす茶堂文化が息づいている。かつて旅人をお茶やお菓子でもてなした茅葺き屋根の茶堂がいまなお点在する。「“遠くより訪ねてくる者は厚遇すべし”というおもてなしの心がいまも脈々と受け継がれている」と吉田尚人副町長。その“おもてなしの心”が訪れる人に安らぎや心地よさを与え、リピーター率の向上につながっているのではないだろうか。

昨年12月から町政を預かる矢野富夫町長は、「これからのまちづくりは、住民一人ひとりが輝かなくてはならない。みんなが楽しくやるために、行政が何をできるか」を問い続けているという。今回の取材では、住民活動と行政支援のバランスの妙味が、先進的な地域づくりの随所に感じられた。矢野町長が梼原を評して「“粋”と“絆”を大切にする町」という由縁だろう。

「大河ドラマ『龍馬伝』の放映が終了する来年1月からが勝負」。町長はじめ、随所で語られた言葉だ。この地が輩出した幕末の志士たちが、新しい日本の夜明けを夢見て駆け抜けた時から150年。地域に流れる進取の気性は受け継がれ、梼原の挑戦は続く。

   

維新の道沿いにたたずむ茶堂。

   

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