全国町村会

田原坂と町づくり

熊本県植木町長  富田 元利

雨は降る降る 人馬は濡れる
        越すに越されぬ  田原坂

植木町を語るとき、明治10年西南の役の激戦の舞台となった田原坂を置いてそれは出来ない。世に言う「田原坂の戦い」であり、西南の役の明暗を分けたとされる。その戦いの様は文字どおり、屍は山となり、血は河となって流れる修羅場と化し、多くの若者達、特に若い薩摩軍の兵士達が命をおとしたと聞いている。その中には、13才から15、6才の少年もいたとされ、それだけに一大悲劇として語られる所以である。

民謡「田原坂」はその若者達の死を偲び、悲しく哀調を帯びたメロディーで今日まで唄い継がれており、毎年3月の初めには民謡「田原坂」全国大会を開催し顕彰に努めている。また、戦場の要塞となった田原坂は、今もほぼその原型をとどめており、その周辺一帯は史跡公園として、慰霊塔や資料館も整備され、四季を通じ人々が訪れる憩いの場として親しまれている。なおまた、3月20日には、戦没者追悼式を執り行い、各地からご遺族の方々も参列される等、当時を偲ぶ縁(よすが)となっている。植木町にとっての田原坂は、文字どおり有利無形の財産として住民の多くの人達が心を寄せており、私自身このことを何よりも大事にしたいと心から思っている次第である。

それにしても、最近に於ける人間を人間とも思わない、異常かつ残忍極まりない事件が続発する日本社会の現状は真に憂慮されるべき事態であると思う。なかでも、明日の日本を担う青少年をめぐる数々の事件や、その行動の実態を見聞するにつけ、例えそれが一部の若者達であったとしても、その精神構造は如何なるものになっているのかと、将来に対する不安とともに、少なからず懸念をもつのは、決して私一人ではないと思う。

私は、田原坂に殉じた若者達を思うにつけ、時代が変わればこうも同じ年頃の少年達であっても、その精神生活は、違ってくるものなのかと、あらためて考えさせられている。因みに、戊辰戦争に於ける白刃して果てた 「白虎隊」も、未だ前髪の取れない少年達であった。先の大戦に於ける知覧基地に象徴される特攻隊員もまた、少年達がいた。かつまた、前述の田原坂の戦いに於ける美少年の悲劇は、あまりにも有名である。勿論当時の状況を、私には知る由もないが、いずれも、命を賭し、散りゆく研ぎ澄まされた精神の高貴性に敬服する。たしかに当時との精神風土の違いはあるにしても、今日に於ける若者達の行動原理には、やはり何かが欠落しており、敢えて言にすれば、幼稚そのものではないかと言わざるを得ない。 果たして、その責任の所在はと世に問うても、詮方ないこと、例え豊かさなるが故をもって、命を賭して目標に挑むその術をなくしてしまったと弁解されても、それを納得するには、あまりにも大きなツケを背負わされものではあると思う。私どもの地域を見まわしても、決して他人事ではなく、青少年問題は、町を挙げていよいよ真剣に取り組む時であると肝に銘じたい。

本町の人口は、現在、約3万1,500人、熊本市の隣接町として、ベッドタウン的傾向も強めながら、今でこそその陰りを見せはじめているものの、植木すいかをはじめ園芸蔬菜等全国有数の農業の生産団地として知られている。

また、昔から豊前街道の宿場町として栄え、今日、JR植木駅にはじまり九州縦貫自動車道植木インター、国道3号、国道208号、県道大牟田・植木線等が交錯し地理的、交通条件にも恵まれている。なお、100年以上の歴史をもつ植木温泉、宮原温泉もまた、田園温泉として、年間を通じ賑わいを見せている。

本町は、「楽しく住みよい文化の香り高い町づくり」を基本理念として、健康文化都市を構想している。例えば、平成15年度より3年間厚生労働省の指定を受け、国保ヘルスアップモデル事業に取り組んでおり、他方、平成14年12月新築移転オープンした町立植木病院、並びに健康福祉センター「かがやき館」を拠点として、保健・医療・福祉を一元化する、いわゆる地域包括ケアシステムの構築を目指し、健康を基本にすえた町づくりを積極的に展開しているところである。

本町もまた、ご多聞にもれず、市町村合併の大波にさらされてきた。即ち、熊本市の隣接町であって、しかも3万人の人口をかかえていること等もあって、結論的に周辺町との対等合併の道は閉ざされたと認識している。反面、人口66万人の中核都市、熊本市が政令指定都市をめざし、合併の意向表明がなされてこの方、本町の住民から熊本市との合併を求めて住民発議がなされ、様々な経過をたどり、結局、3月末に県下初の住民投票となった。その結果は、約4,300票の差をもって、熊本市を指向する選択肢は否定されたのである。

私としては、編入合併、即ち、依存型の合併は結果的に将来、自分達の町が危なくなるというふうにとらえており、「寄らば大樹の陰」、「他力本願」のゆき方には大きな不安を抱くものである。故に、本年度中を目途として、植木町新まちづくりプランを住民参加のもとに策定することとして、その取り組みを開始したところである。「天は自ら助くる者を助く」多少苦しくとも、自助努力、ふるさと植木を愛しお互いが誇りをもって、植木町の建設に邁進するならば、そこに自ずと道は開けるものと確信している。

私は、2年前、21世紀の幕開けの年に当たり、確かに厳しい時代の到来を予感しながらも、やはり新しい世紀に希望を見出したいと真に思ったものであった。しかるに今日、未だその兆しを感じ取ることは出来ない。本来、私どもは「衣食足りて礼節を知る」に見るが如く、これに共感を覚えてきたところであるが、経済大国日本の成熟社会の中で、いつのまにか、そのことわざは、死語にも等しいものになっているのではないかとこれまた痛感している次第である。こうした中、私自身これまで以上に身を引き締め、姿勢を正し、かつ無私に徹し、一日一日しっかりと歩いてゆきたいと思っている今日この頃である。

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