全国町村会

リゾート狂想曲

新潟県湯沢町長  村山 隆征

〜交通の変遷と町の変化〜

湯沢町は交通の変遷とともに町の態様が変化していった歴史があります。

古くは三国街道の盛衰により、鉄道では昭和6年の上越線の開通から上越新幹線の開業へ、道路では国道17号線から関越自動車道と高速交通体系の恩恵に浴してきました。

平地は町土の5%程度でほとんどが急峻な山地が占め、しかも豪雪地帯という寒村がスキーというレジャーに着目して、ハンディキャップである山と雪を逆に利用し、交通の利便性を活用したスキー場を開発し、スキーブームにも便乗してスキーと温泉の町として着実に発展してきました。

〜開発ラッシュの時代〜

上越新幹線、関越自動車道の整備と時を同じくして日本はバブル経済へと突入していった時代、観光客とともに東京マネーをもったデベロッパーがどっと押し寄せ、瞬く間に土地を買いあさり、リゾートマンションが雨後のたけのこのごとく林立するといった状況が出現しました。

こうした状況は数多くの問題点を噴出させました。公共施設では上下水道、地下水、道路、用排水路、ごみ処理、消防、救急体制。生活環境では日照、風雪害、騒音、交通渋滞、防犯、電波障害など。その他としては、地価高騰、収税などあまりにも激しい進出に対応が間に合わないものでした。

この間、町も手をこまねいていたわけでなく、「湯沢町宅地開発及び中高層建築物指導要綱」を制定するなどこの要綱を中心とする各種対応措置を講じたところです。

指導要綱は、法規としての効力をもつものではありませんが、町の意思を表明し、少しでも不利益があるならば、それを解消しようというものでした。その結果一定の効果は間違いなくありました。しかしながらそこには「私権」という大きな壁がありました。当然のことながら、土地を売るのも買うのも、誰にでも認められた権利であったからです。

〜まちづくり指針の必要性〜

湯沢町も総合計画をはじめとする各種計画を策定してまちづくりを進めてきましたが、あまりにも急激な変化に対応できないところから「まちづくりの将来マスタープラン」作りの検討に入りました。結論から言えばまちづくりの基本は、住民の意識と町に対する愛着心であり、湯沢町の持つ豊富な自然資源、これをどのように活用していくのか、そこには新しい意識が必要となってきます。意識の変革は容易でなく、長い年月を必要とします。

そこで、計画の期間を「30年」と決め、最初の10年で、意識の変化。次の10年で、環境の整備。最後の10年で、行動が伴ってまちづくりの完成。目指すところは「町民が安心して生活でき、しかもリゾート環境を整備し安定した経済基盤を持ち、洗練された都市型生活機能と自然が調和した誇りのもてるまち」としたアーバン・リゾートシティ・サーティ計画を策定しました。この計画自体は具体的な計画を持つものではありませんが、町の各種施策に一つの方向性を持たせる意味を持っています。

この計画の一つの象徴として、環境色彩計画・土地利用計画である地域の指定・景観づくり委員会の設置の3つを柱とする「豊かな自然と調和した美しい湯沢町をつくる条例」を制定しました。

時代は大きく変わりました。経済が大きく成長することは期待できません。まして少子高齢化社会は現実のものになりつつあります。変革する社会に対応し、地に足をつけた着実なまちづくりに意を用いていくつもりです。

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