全国町村会

回想

千葉県町村会長 富浦町長 遠藤一郎

小泉首相の靖国神社参拝が、中国・韓国から強い反発を受けている。国内でも世論が二分され賛成・反対の声が強い。(7月現在)  

私は昭和18年9月学徒動員で海軍飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊した。入隊早々「貴様らの娑婆気」を一掃してやるときびしい訓練を受けた。  

土浦では殉国の精神をたたきこまれそれぞれ実践部隊に配属された。  

昭和20年に入ると戦況は刻一刻と敗色が濃厚となってきた中で海軍は第2次丹作戦を発動し九州鹿屋基地から洋上遙か3千qのウルシー島在泊のアメリカ機動部隊に対し、海軍最大の特別攻撃隊を編成し、その名を「梓特攻隊」と命名し大作戦を展開した。  

私も特攻隊員としてこの作戦に参加し生と死の葛藤の中で機上の人となったが、幸か不幸か西カロリン諸島のメレヨン島に不時着し九死に一生を得た。  

メレヨン島は昭和21年岩波書店発行の雑誌「世界」にメレヨン島の悲劇と題して発表され世間に大きな反響をよび起こした島である。この島で見た光景は、食糧が極度に不足していて将兵全員が空腹をかかえ慢性的な栄養失調の飢餓状態に陥っていることに私は大きなショックを受けた。  

十数時間前までは、美食ではないが普通の食事をし生活環境もまあまあであったのが、わずか半日足らずで想像を絶するような飢餓の島に飛び込みその対象の激しさにただただ面食らうばかりであった。  

この島での主食である米の割り当ては1人1日200グラム。コップに1杯くらいの量を3食に分けて食べられる隊は恵まれている方であり大部分はそれ以下の量で1日をしのいでいた。従って芋の葉っぱ、雑草、木の実など口に入るものはなんでも食べていたようである。この島で最高の珍味は「ネズミ」であった。我々は「メレヨン・スープ」と呼び珍味として味わった。その他にも「トカゲ」・「ヤドカリ」も動物性蛋白質として珍重されたが、その数は少なく食べつくされていた。  

このような食糧事情の中で、陸・海の将兵は極限状態におかれていたので当然栄養失調になっていた。栄養失調が極限に達すると体にムクミが来る、いわゆる「飢餓浮腫」が現われ、そのムクミが引くと2〜3日で息を引きとるのである。表向きは戦病死であるが、実は餓死である。  

私は3ヶ月間食糧難と戦いながら極限の中で生き、いみじくも飛行機乗りが潜水艦にのって2週間がかりで内地へ帰った。  

このように大空に散華した戦友、南海の島々で極限の中で病死した多くの陸・海軍の将兵が今まだ異国の土にねむっている実情を今一度認識し、この事実を風化させることなく後世に伝えなければならないと思っている。  

現在私が亡き戦友と対話の出来る場所は靖国神社である。それは「靖国で会う」の合言葉で国に殉じたからである。純粋に国に殉じた戦友が合祀されている靖国神社への参拝は当然のことである。  

8月は、私にとっては回想の月である。

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