全国町村会

随想

大分県上浦町長 松本英明

明治22年町村制が布かれて110余年、当時のままの行政区域で合併もなく今日まで生きのびて来た。それだけに現在では県下でも最小の町となっている。

先輩諸氏の「随想」を読ませていただいているが、各県それぞれ素晴らしい「我が町村(わがまち)」の紹介が多く感心している。

私の住む上浦町は、大分県の南部、宮崎県に近い海岸の町で、あえて紹介するとしたらリアス式海岸の風光明媚な日豊海岸国定公園のなか、県百景に数えられている「豊後二見ヶ浦」に架かる長さ65m、最大直径75cm余りのジャンボ〆縄が毎年正月前に張り替えられ、正に日本一との折紙つきでギネスブックに紹介されました。年末年始にはライトアップされて近郊近在から初日の出の参拝客や愛好家の写真撮影等で1万人近くの人で賑わっていること位だろう。

曽(かつ)ては、「獲る漁業から育てる漁業」へと音響馴致による世界初の海洋牧場の発祥の町として新聞、テレビで昭和59年に全国報道されました。

現在の天皇、皇后両陛下も皇太子殿下時代に、隣り町・鶴見町で開催された第1回全国豊漁祭にお出でになられた後に、この海洋牧場を視察されました。音響により鯛の大群が牧場に集まるようすを興味深く観察、予定時間をオーバーされたエピソードも町にとっては名誉な出来ごとでありました。県下最小の町と申し上げたように全面積15平方km、従って森林も耕地も狭小で、私らの子供時代は、半農半漁の寒村で生活費も少なくて済みましたが、今日では全く言っていいほど生活様式が都会と変わらず生活費もそれなりにかかります。

子供の教育も高校・大学となるためには先人は生きる道・生活の知恵で健康な体力、根性を活かして建設業を開拓しました。今では1,200戸足らずの戸数の中で、120名ほどの人が、北は北海道から南は九州沖縄まで、大・小建設会社の社長として成功を納め、全国に亘って活躍し古里の経済を支えております。税法の関係で現地に納税するため、町財政は苦しいが、個人の家庭経済は比較的に豊かと言う変った形態である。また納税成績は、国、県、町民税、国保税など県下では常に最上位グループで(100%で悪い時でも99.67%)推移している。勿論町民各位の理解、協力、愛郷心を忘れてはならないし、喜ばしいことである。

私もこの様な人情味豊かな町民性に育まれ昭和20年終戦により、総て軍の関係する機関の仕事はなくなり、18歳で故郷に帰り、親友の父が助役をしておった関係で、役所に就職、以来53年間「道1つを以って之を貫く」の決意で自分なり多岐に迷わず頑張ってきた。

昭和47年に当時の町長に励まされ収入役から町長に立候補、当選し現在に至っているが、「人生七十古代稀なり」の古稀を迎えた。思えば半世紀に亘って私を育ててくれた郷土、町民各位に恩返しの気持ちで残された任期を全うしたいと念じている。

私は心の指標と言うか好きな言葉に「徳は孤ならず必ず隣りあり」があります。何の仕事をするにも一人の力では何もできず、あなたこなたの御陰であることを忘れてはならず、町民各位、職員の協力を謝し、一人スターになってはいけないと思っている。また私は趣味であり、ストレス解消策でもある水墨画を楽しんでいる。山水画を描くと讃によく「上善如水」を書き入れる。水は常に上から下に流れる謙虚さがあり、方円の器に従う柔軟性や清濁を併せのむ度量もあり、また一度激すれば護岸を壊したり大きな岩も押し流す秘めたエネルギーを持っている。人間こんな生きざまをしたいものである。

町村長職をしていると、物を創るにしても価値観の多様な時代で賛否はつきもので、真に地域の発展、幸せのためなら自信を持って実践する。反対の側から抗されても「心清かれば意は自から閑かなり」で眠れぬような心配はない。町のため、家族のため、又、自分自身のため常に身辺は美しくありたいものである。

町村長随想
バックナンバー
平成29年度
平成28年度
平成27年度
平成26年度
平成25年度
平成24年度
平成23年度
平成22年度
平成21年度
平成20年度
平成19年度
平成18年度
平成17年度
平成16年度
平成15年度
平成14年度
平成13年度
平成12年度
平成11年度