全国町村会

そこに人がいる地域へ

東京大学名誉教授  大森 彌(第2777号・平成23年10月24日) 

野田佳彦内閣で経済産業大臣に就任した鉢呂吉雄氏は、首相らと視察に訪れた東電福島第一原子力発電所の周辺市町村について、記者会見の席で「市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちという形だった」と述べ、また記者に向かって「放射能をうつす」といった趣旨の発言をしたとも伝えられ、就任九日で辞任に追い込まれた。2011年5月、当時の細川律夫厚生労働大臣は、国会で、現地視察に関連して「本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました」と発言している。同じように「死の町」と表現したが、両大臣の去就は違った。政治の世界では時と所が異なれば同じ言葉でも進退問題に発展する例であろう。

放射性物質の汚染地域から避難を余儀なくされた住民が、どれほどの難儀をし、将来へどれほど不安を抱いているか想像に余りある。今も田畑も森も川も現にある。しかし、今はそこに人が住めない。農地や牧草地は荒れ始めている。世に理不尽なことは少なくないが、これほどの理不尽はない。地域が地域でありうる必須の条件は土と水と人の共生である。土と水があっても、人が住んでいなければ、そこは地域とは言えない。人がいるとは、土と水の恵みを得て日常生活が、しかも共同の生活が成り立っていることを意味している。

色づいた木の葉を風が渡り、ススキが揺れ、トンボが舞い、鈴虫が鳴き、秋の匂いがあふれている地域なのに、そのいのちの気配を感得する人がそこに住めないでいる。作家の五木寛之氏によれば、中国から渡ってきて、日本では平安時代の中期に使われ始め、戦後の敗戦を機に使われなくなった言葉に「暗愁(あんしゅう)」があるという。それは、何処よりともしれず、えもいわれぬ、ずっしりと重い心のわだかまり、深い憂いだという。大震災は天災であり、その艱難に「暗愁」を感じたとしても無理からぬところがあろう。しかし、人災である原発事故に伴う避難は「暗愁」というには尽きない。心が怒りと不安で一杯になっている状態(「暗然」)という他ないだろう。原発被災地を、いのちの気配を当たり前のように感じられる平穏な日常生活のできる場所に一日も早く回復させる、その責任を東電と国は完遂すべきである。

 

  

 

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