全国町村会

「限界集落」とGM

明治大学教授 小田切 徳美 (第2646号・平成20年7月14日)

「GM」という言葉がある。「KY」は「空気が読めない」の略語であるが、「GM」は「現場を見ない」ことを意味するものである。「歩き屋エコノミスト」で名高い藻谷浩介さん(日本政策投資銀行地域振興部参事役)は、この言葉により、地域の関係者が現場と疎遠になり始めていることに対して警鐘を発している。

筆者も最近、藻谷さんと同じように、「GM」を感じることが少なくない。特に、いわゆる「限界集落」をめぐる議論において、しばしばそう思うことがある。この「限界集落」という呼称をめぐっては、それが地域に暮らす人々に対して、ネガティブなイメージを与え、むしろ地域の誇りを奪ってしまうのではないかという問題提起が各地でなされていることは周知のことであろう。

しかし、ここで論じたいのはその点ではない。この1年間で急速に生まれた現象であるが、自治体関係者、特に首長と会話をする時に、「私の町にも限界集落が10地区もある」という表現が、かなり高い頻度で登場する。このほとんどは、集落住民の高齢化率を指標として、それが50%以上を「限界集落」としている。

しかし、同じ高齢化率50%以上の集落であっても、集落の規模、立地条件、自然条件により、集落機能の実態や将来展 望は大きく相違することは容易に予想される。もし、「限界集落」を統計的に析出しようとするのであれば、指標の取り方や水準は地域によって独自に作られるべきものであろう。したがって、自治体関係者が何の疑問もなく、高齢化率のみで「限界集落」の数を議論していることには、強い違和感を覚えざるを得ない。首長がなすべきことは、ひとつの指標で集落を「限界」と決めつけることではなく、なによりも現場を歩き、自らの目でその集落の住民の力を見て、確かめることではないだろうか。

さらに言えば、「限界集落」対策の基本は、行政が現場を見つめることである。「他の地域の人々から、気にかけられている、見守られているということだけで心の支えになる」(長野県阿智村・岡庭村長の発言)ことを理解して、外からの「まなざし」ができるだけその集落に向けられるような仕組みづくりをすることが、その対策の第一歩である。

そうした時に、自治体が「GM」であるとしたら、それは決定的な問題だと言える。自治体は「限界集落」の呼称をめぐる議論のみではなく、行政内のこのような点の自己点検こそをおこなうべきであろう。町村の「アンチGM」運動に期待したい。

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