全国町村会

移住・定住という選択肢

日本大学経済学部教授 沼尾 波子 (第2851号・平成25年8月26日)

夏休みの帰省・旅行シーズン。今年も猛暑の中を日本中で人々が移動した。安定した生活を営む人たちにとって、帰省や旅行は一時的な非日常空間への移動にすぎない。だが、 仕事が不安定だったり、これからの暮らしに不安を抱える人たちには、帰省先・旅先でのふとした経験が、移住・定住のきっかけとなることもある。 「旅先で出会ったこの土地に定住を決めた」という話を耳にすることもある。

ところが、多くの地域では、こうしたきっかけを活かし、移住・定住に結びつけることができない。それは、来訪者がその地への移住を思い描くための具体的な情報がないからだ。

私たちは、暮らしを「創造」するのでなく「選択」するようになっている。欲しいものは、探せばたいてい手に入る。「選ぶ」ことが消費であり、生活である。都会が豊かだと言われるならば、 それは選択肢の多さゆえである。手土産一つ購入するのでも、結婚式場一つ決めるのでも、身近なところに何百種類もの選択肢があり、実に多数の選択肢の中から、自分に合ったものを選ぶことができる。

とはいえ、人間の情報処理能力には限界もある。大量の選択肢の中からどれを選んでよいかわからない。人はしばしば迷う。そこで登場するのが、指南(アドバイス)をするサービスである。 手土産を紹介したカタログ、あるいは結婚情報雑誌、結婚式をプロデュースするサービス業者など、自分に合った商品を選ぶためのサービスもまた、一つのビジネスとなっている。

非正規雇用の拡大。大卒での就職難。人生の選択肢として「田舎暮らし」「移住」に関心を持つ人もいるだろう。ところが、どこに行けばどんな仕事と暮らしが手に入りそうなのか。 体系的に描かれた情報がない。移住という選択肢が見えないのである。

都会からの若者の移住・定住に成功した地域に共通するのは、移住後の暮らしをデザインし、「この地域に来れば、こんな仕事、このくらいの年収、 こんな一週間がおくれる」という絵を提示していることである。移住した先人がおり、彼らがロール・モデルとして、移住後の生活を見せてくれるということもあるだろう。 「地域おこし協力隊」などの制度もまた、現地での数年間の所得や暮らしを具体的に考えながら移住を可能とする装置として機能している。

地元での仕事と暮らしのイメージを具体的にいくつか提示することで、その土地への移住は、初めて選択肢の一つとしてインプットされる。地元の情報を整理し、選択肢をデザインし、提示すること。 都会型消費行動に慣れた人々への移住を呼び掛けるメッセージは、そこから始まる。

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