全国町村会

生まれた時代の違い

千葉市男女共同参画センター名誉館長・NHK番組キャスター 加賀美 幸子
(第2796号・平成24年4月9日)

前回は「東路(あづまじ)の道のはてよりも…」と始まる『更級日記』の作者である孝標女(たかすえのむすめ)の生き方を取り上げてみた。1008年生まれの彼女は、そのころすでに紫式部によって書かれていた『源氏物語』にあこがれ、やっと手にできた時「源氏五十余巻を一の巻より誰にも邪魔されず見る気持ちといったら妃の位だって問題にならないわ」ときっぱり言い切る清々しさ。

少し先輩にあたる紫式部や清少納言のように孝標女も宮仕えはしたけれど、なかなかうまくはいかない。力はあっても認められなかった人生への哀感が、後世の我々に響き、心動かされるのだが、そこに時代と環境を重ねると、さらに今を見る鏡にもなる。

紫式部と清少納言は、同じ一条天皇の中宮彰子(しょうし)と中宮定子(ていし)に仕えた女房である。一条朝は文学の隆盛期といわれるが、藤原行成(ゆきなり)の日記によると「主上(一条天皇)は心が広く思いも深く、内裏(だいり)ではしばしば詩宴を催し、自らも活発に詩作をおこなっていた」とある。   

「席上の英才 宜(よろ)しく露胆(ろたん)すべし 由来 風諭(ふうゆ)は詩能に就く」(詩作の席の英才たちよ、遠慮なく思いを述べてほしい。もともと風諭は詩にすぐれた能力をもつ者によってこそ、なされるものなのだ。)…一条帝の詩である。   

風諭とは…直接ではなく、文学によって世の中のことを諭(さと)す…詩は単に自然の美しさを描写するだけのようなものであってはならず、政治の不正や社会の矛盾を批判し、人びとの思いを代弁し、彼らを導くものでなければならない。という意味である。   

紫式部や清少納言はまさに、その環境にいたからこそ、力を発揮できたのではないだろうか。どの時代、どういう環境に生まれたか。時代と人的環境は選ぶことはできない。孝標女が生きた時代はすぐその後ではあったが、一条帝は亡くなり、紫式部と清少納言が仕えた中宮彰子や中宮定子の出である藤原家の全盛期も陰り、なかなか思うようにはいかなかったのではないか。どの時代に生まれるか…誰にも共通する人生の道である。

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