全国町村会

希望の地としての「限界集落」

民俗学者 結城登美雄(第2668号・平成21年2月9日)

人も集落も老いていく

近頃にわかに耳目を集めている「限界集落」をめぐる論議。「限界」という切迫した物言いに刺激されてか、メディアもひんぱんにこの問題をとりあげるようになってきた。しかしその論調はといえば、高齢化が 急速に進む日本の農山村はもはや過疎などという生やさしい段階ではなく、このままいけば集落は消滅への道をいっきにたどってしまうぞ、といった危機感をあおる言説ばかりが多く、ならばどうするのかの方向性 ひとつ提示できぬままに、短絡的に行政責任を問うことに終始しているように思える。

相変わらず表層的なジャーナリズムというほかないが、しかし、この「限界集落」が内包している課題は、行政が関与対応すれば解決するというほど単純なものではない。人間は生きていれば誰もが老いてゆく。当 然ながら人の集まりである集落も老いを免れることはできない。まずはその厳然たる事実をしっかりと受けとめ、その上でなお、そこを生きてきた人々と、その営みはなぜに大切なのかを真剣に問わねばならないと思う。

人々の暮らしと心に寄り添って集落を支えた力を考える

思えばこの国の過疎地に対する一般的な認識と対応は遠くからの目線ばかりが多く、実際にその土地を生きた人々の声に耳を傾けたものは少なかった。どんな辺鄙な小さな村であれ、そこは人が暮らす具体の現場であり人生がある。その喜怒哀楽や願いや悩みに向い合わず、人口の多寡や高齢化率といった無味乾燥な数字だけでとらえ効率論で押し切る対応や施策が多かった。

例えば国土審議会専門委員のひとりは次のように言う。

《過疎や高齢化で疲弊する地方は、どう再生すればいいのか。国内の総人口が減る中では、今の集落すべてを守ることは無理だ。生き残るためには、町から遠く離れた地に住むのをやめ、町の周辺にまとまって居住するべきだ。住み慣れた集落に住み続けたい気持ちは分かるが、勤め人なら転勤もある。農村だけが悲惨なわけではない。》
(『田園立国』(日本農業新聞取材班)における土井丈朗慶應義塾大学准教授の発言)

現場を知らぬ都市中心の浅薄な発言をあえて引用したのは、地方自治体職員の中にも同様の考えが散見されるからである。

いくら行政効率や費用対効果が求められているからといって、人の暮らしの現場を効率論で押し切っては ならない。「過疎」や「限界集落」をどうするかと性急に頭で判断する前に、まずは現場に足を運び、集落を生きた人々の暮らしと心に寄り添ってほしい。そして考えてほしい。なぜこの村は長い年月、集落を維持できたのだろうか、と。そしてそれを支えた力とは何かを受けとめてほしい。

近代日本は小さな村の集まりからはじまった

今日、「限界集落」と呼ばれる村 も、その歳月を遡れば何百年かの歴史を刻んでいるはずである。例えば今から140年前の明治元年、日本人約3,000万人のうち9割は村に住んでいた。村の平均規模は戸数にして60〜70戸、人口は一村当り370人前後。そんな村がなんと71,314もあった。いわば近代日本は小さな村の集まりからはじまったともいえるのである。それが明治の合併で15,000の市町村になり、昭和・平成の合併でそれぞれ3,400、1,700余の市町村に統合されてしまったが、それはうわべのことで、原型としての村は戸数・人口ともに減少したとはいえ、なお集落として生き残っている。

140年を経て持続可能な生きる力、村を村たらしめる力とは何か。それを問わず確かめずに安易に「限界集落」を行政効率の名のもとに葬り去ってはならないのではないか。人間が生きる暮らしの器としての集落はお手軽な数値化や統計で判断されるほどヤワな存在ではないのである。

小さな村がたたえる希望

私はこの15年ほど、東北の中山間地の小さな集落を600ヵ所ほどたずね歩いてきた。現場に出かけたこともない都会暮らしの学者や官僚、さらには無責任なジャーナリズムからは過疎地・限界集落などと負の記号で片づけられがちなこれら小さな村々も、実際に出かけて人に会い、じっくりと話をきけば実にたくさんのことが学べる。自然や資源を生かすとはどういうものか。限られた条件の中で営まれる持続可能な暮らしの流儀。ともに生きる隣人への気づかい。そして人生の哲学……。

都市と企業社会にどっぷりと浸かり、利便さと経済価値だけを基準に生きてきた私たち。つくづくと人間存在の大きさや深さは住んでいる地域の大小とは関係のないことだと思わされた。そして時あたかも百年に一度といわれる世界同時不況下の日本。なりふりかまわぬ派遣切り。余裕を失ってうろたえる企業社会。無能無策な政治。こうした状況を背景にわが「限界集落」や過疎地をみるとき、むしろ小さな村こそが人間らしく生きるための、これからの希望の場所なのではないかと思えてくる。いや、そうしなければならないと思う。

人生の充実を求めて農山村へ向かう若者たち

しかるに、地方自治体にとって「限界集落」はどう受けとめられているのだろうか。まさか困ったお荷物 とは思っておるまいが、気の重いテーマと受けとめるむきも多いので はなかろうか。たしかに集落の消滅さえ懸念されている「限界集落」に は今のところ負のイメージがつきまとっている。

しかし、そこを希望の場所、可能性の拠点ととらえる若者たちが増えている。2006年度の『民間給与実態統計調査』によれば、わが国の全給与所得者数5,340万人のうち22.8%は年収200万円以下である。その数、じつに1,200万人。さらに雇用者の三分の一が非正規雇用という過酷な労働環境。加えて世界同時不況によって正規雇用さえ危うくなった。働いても働いても豊かになれないワーキングプア。明日のみえない都市生活。そんな暮らしと都市社会に見切りをつけて、たった一度の人生の、その充実の道を農山村に求めて向う若者たちが増えている。この流れはもはや一時的な現象と片づけられないほどに本格化している。

模索する若者、覚悟する老人 生まれ変わった中ノ俣集落

「限界集落」を可能性の場所、希望の村ととらえる若者たちと村人の実践的な試みを紹介したい。新潟県上越市中ノ俣集落。人口90人、50世帯の小さな村である。村人の平均年齢は70歳をこえ、老人単独世帯も20世帯ある。数値だけでとらえれば典型的な限界集落であるが、不思議なことにこの村の人々の表情は明るくて、かつ、たくましい。その秘密は都市からやってきた9人の若者との出会いと協働によってもたらされたものである。

若者たちは迷っていた。便利で楽しいはずの都会が息苦しくなっていた。人はたくさんいても心が通う友人は少なかった。何をするにも金がかかった。就職氷河期の氷は融けそうにもなかった。広がる格差社会。それでも若者たちは懸命に生きる道を模索していた。環境や食料問題は日々深刻化しているというのに相変らず浪費の都市生活。はたして都市に未来はあるのか。環境を良くして食料を安定させ、人間らしく生きられる社会を取り戻したい。そしてそんな仕事がしてみたい。だが、自分にはその力があるだろうか。知識や情報ではなく、これからをしっかり生きていくための知恵と技を身につけたい。生きるべき道を求めてそれぞれに模索する9人の若者たちが、上越市の小さな村、「限界集落」中ノ俣に出会った。

実は中ノ俣の村人も悩んでいた。この村に生まれ、この村に嫁ぎ、懸命に耕やして食をまかない、子を産み、子を育て、精一杯に生きてきたその生に悔いはないが、しかし、さすがに年老いた。代々守ってきた田畑もいつまで続けられるか。すでに子供たちは異なる人生を歩み、今さら戻ってこいとは言えない。時代は金がすべての世の中。ここは金が少なくても楽しく生きていけるところだといっても、どうせ負け惜しみとしか受けとられまい。何百年も続いた村の歴史に終止が打たれるのか。

新たな人生のはじまりを必死に模索する若者たちと、村の終りをさびしく覚悟する老人たちが「限界集落」で出会った。買う力ではなく、つくる力を身につけたいと願う若者たちと、自然を相手に暮らしと村をつくってきた村人たちが、7年余の紆余曲折、試行錯誤を重ねて心を通わせ、懸念される限界集落問題をこえようとしている。

本来ならばその実践活動の顛末を記すべきだが、すでに紙幅が少ない。(詳しくは文末文献を参照されたい)結論的に言うならば、行き暮れる都市の若者たちと、行き詰まる限界集落の出会いから希望の村に生まれ変った上越市中ノ俣集落の事例が示すものは、限界集落を負の遺産ととらえず、次代を生きる若者たちの新しい暮らしの器としてとらえ直した時に、限界集落はその可能性がひらけてくるのではあるまいか。

誰が食を支えているか

新たな視点から「限界集落」をとらえ直す必要はもうひとつある。たとえ中山間地の耕作条件不利地域であろうとも、そこは私たちの生命と生存に欠かせない大切な食料をつくって人々が、今日も懸命に汗を流しているところだということを忘れるべきではない。まして農地が狭いからといって軽んずべきではない。

日本農政は一方では食料自給率向上を言いながら、相変らず大規模農業の推進一本槍で、農地の大小をモノサシに小農を次々に切り捨てている。なんという自己矛盾か。私としてはたとえどんな小さな農地であれ、何人か分の食料を支えてくれているとの思いが強い。巷間流布されている食料自給率の議論はモノとカネとの数字ばかりで、食を支えている人間をとらえる視点が欠如している。たとえ40%の自給率であれ、誰が食を支えているのか。その問題をこそ始まりにするべきである。誰かが耕やし種をまき、収獲しなければ私たちの食卓は成り立たないのである。1億2,700万人の日本人の食はわずか312万人の農民と20万人の漁民の報われない労苦によって支えられているのである。食料自給率は40%だが、「食料自給力」は40.66%である。わずか3%弱の生産者が残り97%強の人々の食を懸命に支えている。しかもその45%は70歳以上で24%は60歳代である。いわば「限界集落」の老農たちによってかろうじて国内食料はまかなわれているとはいえないか。

「食の自給力」向上をめざせ

問われているのは食料自給率ではなく、食を最初に作り出す「食の自給力」である。「ひとりの老人が死んだということは、大きな図書館が失われたと同じだ」というアフリカのことわざがあるが、ひとつの集落が消えるということは、そこがもっていた食料生産力、すなわち私たちの食料倉庫が失われるということではないのか。

ちなみに「限界集落」が点在する中山間地を食料生産の視点でとらえ直すと、農家数は123万戸で43%を占め、耕地面積は203万haで42%を占める。そしてその農業生産額は日本全体の39%に当たる3兆4千億円になる。「限界集落」を含む中山間地から農家や集落が消えてしまったら、私たちはたちまち食料パニックにおちいってしまうのである。

すでに13億人の人口をかかえる中国や11億人のインドが食料輸入国に転じ、世界は食料の争奪戦をくりひろげている。これに異常気象や水不足、バイオ燃料化、家畜伝染病の発生など世界の食料状況は不安定さを増している。世界の農産物輸出規制もますます強化されつつある。もはやかつてのように食料は輸入すればよい、と言っていられなくなった日本。

そうした内外の情勢からみたとき、これからの日本、いや地域の最大のテーマは食料問題になると予想される。これまでの地域づくりの大きなテーマは道路や下水道などの社会資本整備に力を注いできたが、これからは地域食料の安定充実が最大のインフラになっていくのではないか。なぜなら人間は食べなければ一日たりとも生きていけないからである。

有為転変激しいこの世にあって、なぜ日本の村は何百年も村であり続けることができたのだろうか。そんな問いを東北の小さな村の老人にぶつけてみたことがある。返ってきたこたえは「家族の食は家族の力でまかなうこと。食料の自給確保が村を生きる第一条件」だった。そして「農地は永遠の食料倉庫だよ」とつけ加えた。世界同時不況でますます混迷を深める時代。「限界集落」を地域の人々が安心して暮らすための「永遠の食料倉庫」としてとらえる施策が求められているのではなかろうか。

※中ノ俣集落の活動については・『未来への卵』(かみえちご山里ファン倶楽部編)・『増刊現代農業』(2008年11月号)を参照されたい。

結城先生の写真です結城登美雄(ゆうき とみお):昭和20年山形県出身。民俗研究家。
10年にわたり東北の農山漁村をフィールドワークしながら、住民を主体にした地域づくりの手法「地元学」を提唱。出版界、演劇界、学者、研究者、建築家などとネットワークしながら、宮城県内及び東北各地で地域おこしの活動を行っている。
「増刊現代農業」「グラフィケーション」など、雑誌や新聞を中心に農と地域づ くりについて多数執筆中。「NHK東北ふるさと賞」、「芸術選奨芸術振興部門文部科学大臣賞」を受賞。

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